できない私が、くり返す。 の感想とか解釈

今回はあかべぇそふとすりぃの作品「できない私が、くり返す。」についての感想と解釈を書きます。

以下ネタバレあるので注意です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・犠牲をともなわない人の死と、それが与える作品の評価について

本作品は、プレイ中/直後は人の死について考えさせられる作品でした。その理由は詩乃がどのルートでも死んでしまう、死の直前の描写が丁寧に描かれているというのももちろんありますが、私にとって一番の理由は個人が個人的な理由で死んでしまう作品を今まで触れてこなかったというのがあります。いわゆるセカイ系のように、世界や社会、友人や恋人のために主人公やヒロインが犠牲となって死ぬ作品は多く見てきました。しかし本作で描かれる死はそのような犠牲としての死ではなく、完全に運によって何の理由もなく個人にふりかかった死です。そしてその死は主人公がどのような努力をしても覆らないものです。

このような死-ここでは犠牲をともなわない死と呼びます-を描いた作品に不慣れな私は、正直なところ何かしら報われることを期待してプレイしていました。レビューサイト・感想ブログなどで同様のことを述べている人たちも同じ気持ちを抱いていたと思いますし、もしかすると自分のように犠牲をともなわない死に触れた経験が少なかったかもしれません。

その結果として、自分の場合は死への無力感・恐怖・悲しみといった感情で心が埋まってしまいましたし、人によっては「なぜこのエンドで終わってしまうのか」「なぜ主人公はこの行動で満足してしまうのか」といったある種の批判感情を持つことになります。

しかし本作は犠牲をともなわない死の悲劇を描いただけの作品ではありません。

 

・本当のテーマ-後悔とどう向き合うかについて

本作の真のテーマは公式HPを見れば明らかなことですが、後悔とどう向き合うかというものです。しかし前節で説明したように、犠牲をともなわない死がもつインパクトが大きすぎることによって、このテーマが若干見えづらくなっています。

ここでは冷静に作品の展開を見直すことで作者がどのようにメインテーマについて考えているのかを明らかにしていきます。

 

1.時計の能力があっても後悔しないように生きることしかできない、なおさら時計の能力を持たない我々は(後悔しないように生きることしかできない)

前半については作中でも直接言及されていますし、明らかすぎるテーマですが念の為述べておきます。

 

2.過去の未練-後悔に囚われていると、連鎖的に再び後悔することになる。

これはRe:call編に入る前の詩乃ルートで感じたことです。このルートでは陸が漣に対する未練を5年経っても振り切れておらず、詩乃に対する恋愛感情が偽りであることを詩乃本人に見抜かれてしまいます。その結果詩乃が亡くなったあとも陸は後悔に苛まれ、ガンを個人の努力で治療するという愚かな選択をしてしまう、実質的バッドエンドを迎えます。

しかしRe:call編では漣の説得により治療を諦め、漣に対する告白をやり直すことで未練を晴らします。その結果詩乃の死という結末は変わらずとも陸は新たな後悔に苛まれることなく未来に向かって生きていけるようになります。

この展開からは、2.過去の未練-後悔に囚われていると、連鎖的に再び後悔することになる。が読み取れます。さらに言えば過去の未練-後悔を振り切ることができれば、結果は同じでも希望ある未来が待っている(はずだ。)という主張も感じられます。

ですがここで一つ新たな疑問が生まれます。陸は時計を持っているから過去の未練を振り切ることができた。しかし時計を持ってない現実の我々はどのように過去と向き合えばいいのか。

 

3.過去の後悔を無かったことにはできないが、それでもこれからの後悔を小さくするために努力することはできる。

その答えは藍里ルートにあると考えます。藍里ルートでは、右手首の怪我でバドミントンができなくなるという結果は変えられませんが、本当は由美子と試合をしたかったのに諦めるという後悔を産まないために左手を使って練習し、最終的には両者満足できる試合を行う姿が描かれています。

これは現実世界に生きる我々と非常に近いシナリオであり、3.過去の後悔(手首の違和感を無視して練習を続けたこと)を無かったことにはできないが、それでもこれからの後悔を小さくするために努力する(左手で練習を行ったこと)ことはできるという主張が読み取れます。

 

・その他の雑多な感想

・レビューサイト等では詩乃ルート以外は酷評してるものが多く見受けられますが、藍里ルートは詩乃ルート同等の意味があるシナリオだったと思います。

・未喜ルートはカレーが食べたくなるだけ、未喜がかわいいだけかもしれません。

・ゆめルートは前半はともかく、唐突に3Pを始めるあたりから理解不能でした。

 

 

 

 

 

 

 

白昼夢の青写真 CASE-0を語る会で新たに解釈したこと

今回は2020年11月20日深夜に配信されていた白昼夢の青写真 CASE-0を語る会を聞いていて、ゲーム終了後には気づかなかったポイントについて自分の解釈を書きます。

配信のURLはこちらです。アーカイブ残り続けるかわかりませんが、作品のファンは絶対見たほうがいいと思います。

www.youtube.com

 

以下ネタバレなので注意です。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この配信では作品内では陽に描かれていない複数のテーマであったり、緒乃ワサビ氏と藤野真人氏の個人的経験、現実的なビジネスの話など多くのことが語られており、どれも非常に興味深い内容で本当は全てについて感想を書きたいところです。ですが今回はある一つの話題に絞ります。それは基礎欲求欠乏症についてです。

 

まず、自分は白昼夢の青写真をプレイした際、case0後半の遊馬に感情移入することができませんでした。その理由はショッキングな内容である前頭葉切除を行ったからではなく、彼の行動の背景にある基礎欲求欠乏症について納得できなかったからです。何故この架空の病気が登場したのか、何故遊馬の妻の里桜が病気になったのかが自分の中で晴れない以上、遊馬の行動原理に納得できるはずもありません。

 

しかし今回ワサビ氏と藤野氏によって基礎欲求欠乏症について彼らの明確な思いが述べられており、私は理解を深めることができました。動画時間でいうと3:19:00あたりからです。

 

基礎欲求欠乏症のモチーフとして始めにワサビ氏は童貞の話を持ち出していますが、要するに現状で満足してる人間はどうなんだ?という問いかけでした。藤野氏はそれに対してベンチャー企業やスタートアップでは成長を止めるな、現状に満足するなというスローガンが掲げられるが、もし成長を止めて現状に満足してしまってもせいぜいビジネス的に死ぬのが現実世界だとしたら、本当に肉体的に死んでしまうのが白昼夢の青写真の世界ということが明らかになります。

 

これは私にとって非常に突き刺さる話でした。個人の具体的なエピソードは書きませんが、ここ1-2年くらいの私は現状の満足を追い求める生き方をしていました。数日前にはこんなツイートまでしています。

 これこそワサビ氏が否定しようとしていた生き方そのものであり、白昼夢の青写真の中では典型的な基礎欲求欠乏症にかかって死ぬ存在だったわけです。

ここまで踏まえると何故私は基礎欲求欠乏症について納得できなかったのかがわかります。それは自分の考えや生き方が否定されており、自己防衛的に自然と目を背けてしまっていたからです。

 

しかし、配信の続きではワサビ氏の別の考えも明らかになります。では現状に満足せず常に成長を求め続ける野心的な生き方は幸せなのか?という疑問を提示しています。作中でこの生き方をしていたのは海斗なわけですが、海斗は幸福な人生を少なくとも完璧には歩めていません。配信内では明確に言葉にしていませんが、ワサビ氏の考えとしても野心的な生き方が必ずしも幸福ではないということでしょう。

 

では現状に満足するのもだめ、野心的に生き続けるのもだめならば、一体どのような生き方をするのが幸福なのでしょうか。

メタ的な答えとしては、幸福な生き方を一つ具体的に定義してそれに邁進することが実は幸福ではなく、常に今と将来の自分にとって何が幸福なのかをアップデートし続けることが正解な気がしています。

 

もはや1つのゲームで扱える範囲を超えてきているなあと感じます。

ハミダシクリエイティブの感想

今回はまどそふと最新作のハミダシクリエイティブの感想を書きます。

以下ネタバレと、エロシーンに対する気持ち悪い感想があるので注意です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いわゆるキャラゲーということで、各ヒロインごとに感じた思いを殴り書きします。

常磐 華乃

おっぱいでかくて濃いオタク話できて性欲も強いとかオタクの理想の彼女像すぎて個別入る前から魅力度最高で一番始めに攻略した。

コミケ当日に本番寸前までいったのに中断させられるくだり、まじで感情移入しすぎてチンコやばかったしその後の文章頭にあんまり入ってこず、ようやく迎えた本番シーンでビビるくらい精子でた。

あと水着のイラストに関して、他のヒロインが海での水着そこまで魅力的じゃなかったのに対して華乃は水着そのものがエッチすぎるし風呂場での練習もおっぱいやばすぎてエロシーンじゃないのにクソ興奮した。逆に言うとなんで水着のエッチシーンないの????って終わった後ちょっとキレそうになる。FDで補完してくれ~~~。

コスプレに関しては残念ながらどの服装もあんまり興奮しなかった。

シナリオに関しても悪かったとは言い切れないけど、私はそもそも陽キャ陰キャのレッテル貼りや対立構造を語ることががそもそも苦手な人間なので良くもなかったかなあ。その結果メイド姿のCGとかもあんまりよく思わないまま終わってしまったのが残念。でもキャラパワーが強すぎて総合的には満足です。

 

和泉 妃愛

はい最高の妹。正直個別√というかヒモになることを決意するシーンまではギャグ要素が強くてそこまで魅力的じゃなかったけど、√確定してからは徐々に心理的に弱い部分が出てきて、泣きながら告白されるシーンではこっちも悲しくて涙でそうになった。

両思い恋人になってからはすげえ愛らしくなって、どのシーンもかわいすぎて基本的に言葉にできない。

文化祭での過去の告白はCGで主人公の顔隠れるのがなかなか不自然だったりとかあるけど、それ含めてもシリアス要素の塩梅はヒロインの中で最高だったと思う。

あとはEDも歌ってくれたのがすごい嬉しくなった。

エッチシーンに関しては全部よかったけどあえていうなら寝起きパイズリフェラと授乳手コキが神すぎる。普段本番以外で抜けないのにこの2シーンは単体で抜いてしまった。

(あとヒロインの中でひよりだけ避妊してる描写があり、他のヒロインは最悪妊娠しても人前に出る仕事じゃないから問題じゃないけど、ひよりはアイドル声優続けたいからピル飲んでたってことなんですかね。個人的にはコンドームで避妊したあとやっぱり生でしたいって展開になって終わってから最悪アフターピル飲む描写入れたりしてほしかった。ワガママハイスペックには途中でゴム外すシーンあったけどFDではああいうのほしい!!)

これシナリオ読み返してたら普通に言及してたので反省。ちゃんと避妊しない兄にはひよりを愛する資格がないようです。

総合するとシナリオも完璧でキャラも完璧で実用性も抜群で大好き(大とぅき)な妹でした。

 

錦 あすみ

はい天使最高。正直Vtuber自体があんまり興味ないというか苦手なのと、基本的におっぱいでかいキャラのほうが好きなのもあって攻略意欲は薄かったのだけれど、個別√入ってからどんどん天使要素を押し出してきて幸せだった。なんならひより√でもひよりといちゃいちゃしてるの完全に天使。

シナリオは胸糞展開を覚悟しながら読んでたせいかそこまで大事にならず安心した。天使が悲しむ顔を見たくなかったので。でもやっぱvtuberよくわからないし、時代が違えばシンプルにボカロPとか歌い手キャラだったのかな~。そっちのほうが感情移入できてそう。

エッチシーンはおっぱいが小さいので最高ではないですが天使補正でそこそこかな笑。

総合するとシナリオそこそこ、キャラ天使で満足。

 

鎌倉 詩桜

しおぽよ√はあんまり感情移入できなかったなあ。しおぽよ自体は面白いキャラだし、一部言われている共通√で当たり強すぎるってのも自分はあまり気にならなかったのだけれど、逆に個別√の話が印象に残らなかった。

シナリオ重視の作品で作品の基本・根幹設定あるいは真実が明かされる√はキャラ自体の魅力が薄くなりがちってよくあると思うのですが、それの一種なのかとは思う。

ただ生徒会の真実抜きにしても、他のヒロインが絵師、声優、Vtuberの設定を上手く使っていたのに対して小説家である設定の意義もあまり感じられなかった。小説家じゃなくてただの旅行好きと喫茶店員のイメージ笑。

エッチシーンも拘束とか目隠しとかふとももとかちょいアブノーマル寄りなのは受け付けなかった。パイズリはよかったけど。4ヒロインの中でちょっと評価は低くなっちゃいますね。

 

その他

・共通√が若干苦痛だった。あそこまで立て続けにDQN学生を描写する必要あるのか、陽キャ陰キャ関係なく治安悪すぎると思った。実際途中で耐えられなくなってメインキャラ以外の音声ミュート機能使いました。各個別√で学園自体は評判いいって描写があったのにも矛盾してる気がします。ちょっと個別と共通で落差が激しいし、この作品の数少ない欠点。

アメリは共通√というかOP入るまではなんで攻略できないの?って憤慨してたけどその後の展開がめっちゃ不憫だし魅力も急降下してしまった。

・ミリさんは特に語ることなし。

・新川くん、同性愛を匂わせるキャラじゃなくて普通の癒やし系同級生でよかったかも。

・サブキャラだと聖会長気になるなあ。立ち絵最高すぎるし最終的に主人公認めてくれるの素直に嬉しい。FDで攻略したい思いが強い。

 

 

 

 

好きなテクノ、EDM、洋楽のまとめ

今回は私の好きな曲をまとめます。 ジャンルはテクノ、EDM、洋楽、チップチューン、ハードコアなど。

この手の楽曲、少なくとも日本で語るのはあまりにも難しすぎる。

最近の曲(ここ2-3年)は全くと言っていいほど入ってないので誰か教えて下さい。

 

Different Heaven & EH!DE - My Heart [NCS Release]

youtu.be

Hyper Deejays - Don't Stop Movin (JAKAZiD Remix)

youtu.be

Danny Danger - Find Yourself (Weaver Remix)

 

youtu.be

Sc@r & Alias - Exstacy - SD003

youtu.be

RoccoW - Go Fast, Dance Hard

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Darwin - I Try (Original Mix)

youtu.be

Renard - Intensive Care Unit (feat. FIAB)

youtu.be

Technikore feat Jenny J - Lights down Low (Original Mix)

youtu.be

 

Oliver Renoir, Olivier Renoir D J Morris

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The Partysquad & Alvaro - Lights Out (Official Music Video)

youtu.be

PIKASONIC - Asuka

youtu.be

Darwin Promise Me (4 o Clock)

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[Progressive House] - Project 46 - Reasons (feat. Andrew Allen) [Monstercat Release]

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MAX COVERI / RUNNING IN THE "90S"【頭文字D/INITIAL D】

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さくらの雲*スカアレットの恋から感じたことと考察

今回はきゃべつそふとの作品、さくらの雲*スカアレットの恋について語ります。

以下ネタバレ含むため空白

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず始めにこの作品で最も心に残った部分、本作を語るにあたってまず外せない部分を書く。これは多くの人が同意すると思うが

1. 列車編での本格的なミステリー要素

2. 司の正体と真意判明時の伏線回収の演出

である。

 

1については、日頃からミステリー系作品を読んでいるプレイヤーはともかく、私のような素人にとってはテキストを読みながら犯人を予想し、結果的に裏切られる展開が純粋に楽しかった。これを気に有名所のミステリー小説を読んでみようかと考えさせられるくらいの体験である。この点だけを持ってして本作を傑作と呼ぶのは些か早急な感もあるが、私にとっては十分である。

2については、単に伏線回収が見事というだけでなく、ミステリーの体をとった作品だからこそ成せた演出ではないだろうか。よくある心情描写に特化したシナリオや作品であったらこれほどの体験をもたらすことはできないだろう。具体的にいえば、犯人を探偵が見つけ出すという構造をうまく活用することで、単に登場人物の会話やバトル物における戦闘シーンからはもたらすことのできないある種の快感をプレイヤーに与えている。後で言及するが、悪役との対決の中でカタルシスをもたらす作品が多い中で、あえて対決の前、悪役とは本質的に無関係なところで興奮と感動をもたらした点も非常に評価できる。

演出面に関しては随所でBGMが効果的に機能しており、本シーンで用いられてる「掴み取る未来」についてもとにかく鳥肌が立つ。

 

さて、次にあえてこの作品の欠点、欠陥を書く。批評空間を軽く覗いた時点でもいくつか言及されていたし、おそらく読者もある程度は共感するのではないだろうか、それは加藤との地下基地での直接対決シーンである。不満点を箇条書きすると次のようになる。

1. 加藤の正体について、未来人かつ伏倉の子孫という結論であるが、未来人であることは作品早々で気がつくし、伏倉と並々ならぬ関係があることは作中様々な場面で示唆されており、他の各種伏線と比較して意外性が薄い。正確には司や所長といった作中の人物にとっては意外な正体であるのだが、プレイヤー視点では全く意外ではないのである。

2.櫻井雪葉の正体について、未来人かと思わせて死者というのはたしかに面白いトリックではあるが、彼女自身は話の本筋と無関係といっていいキャラクターであり、加藤の味方以外の意味を持たない。それにも関わらずラストシーンで出番が多く無意味に目立ちすぎる。

3. 所長の未来での役割について、こちらも唐突かつ加藤が利用したい動機もあっさりと語られるため、プレイヤー視点での重要性を感じない。

4. 司が未来への移動の実験台になるのも、3と同様重要性を感じない。

5. 最終的な解決法が親殺しのパラドックスであるが、そもそも本当に起こり得るのか、加藤が消えることで更に矛盾が起きるのではないかなど科学的視点での問題がある。また、このような現時点-現実の2020年令和2年でも非科学的な現象を事件解決に用いたことは、これまでの作品中テーマと矛盾している。

 

ざっとあげるとこのようになるだろう。5について詳しく説明する。前半の科学的にどうなのかという議論は省略する。後半の作品中のテーマと合わないというのは次の通りである。所長編に突入するまでで私が感じたポイントとして、異能-科学的にありえない能力と現象の徹底した否定がある。各種事件の解決において司も所長もオカルトではなく理路整然とした推理をモットーとしているし、日常会話でもたびたび空想・超常的存在を否定している。

何より一番寓意的であったのは初期ルートにおいてマイが百鬼夜行というありえない存在を信じたことによって単なる殺人鬼となること、列車編において千里眼を信じた柳楽がその他のルートとは打って変わって破滅すること、これらから異能を信じることが誤りであり、最終的に不幸になる存在と捉えるのが自然である。

もちろん、これらの描写には別の意味、メリッサがアララギを除いて唯一異能を持っているという事実を引き立たてることには貢献しているのだが、それでも司と所長が最後の最後で親殺しのパラドックスに頼ったのには幻滅あるいは興が削がれてしまった。

 

では、これらの欠点・欠陥はライターの力量不足なのだろうか?私はそう思えない。むしろ意図的に話の質を落とさざるを得なかったのだろうと思う。ではなぜそうしたのか。私の出した答えは、「加藤との直接対決の前に作者の表現したいことが既に終わっていたから」である。すなわち、本記事の冒頭であげた2つのシーンを描いた時点で作品の主題は完結しており、タイムスリップとタイムマシン関連の話は掘り下げる必要性が無かったのではないだろうか。

1の列車編については、私自身ミステリーの素人であるからここではこれ以上言及しない。代わりに2.司の正体と真意が判明するシーンについて掘り下げる。

この場面において、司は桜雲の現代を拒否し大正という過去に留まろうとしたこと、そのために歴史への介入を行ったことが明かされ、しかし所長の説得によって現代に戻ることを決意する。これらがどういう意味を持つのか。多くのループもの作品で取り上げられる普遍的なテーマー過去へ執着することを否定し、現在および未来を肯定することもちろん含まれているだろう。また、所長と司の強い絆、公式説明文でもたびたび用いられる100年の時代を超えた恋もメインテーマだろう。しかし本作はこれだけに留まらず、強い主張ー戦前日本の軍国主義の否定、反戦と平和希求を一番訴えたかったのではないか。加藤は過去へ介入したことによって存在が抹消する結果になったが、同様の介入を行ったのにも関わらず司は幸福な現代に戻れた。作中でも言及されるように本質的に両者の行いは同等の罪である。しかし司の介入はテロ事件を未然に防ぐといういわば軍国主義の否定であったから許された。最終的に桜雲を回避して令和にたどり着いたのも、タイムスリップによる歴史の介入云々ではなく、司の意志を継いだ所長たちが平和のために行動した結果である。特に司が現代ー令和にたどり着いた後の描写では、所長との絆以上に、平和な世界を享受できることへの感謝が感じられた。つまりこの作品が持つ隠された、しかし根幹にあるテーマは戦争と平和である。通常この手のエンターテイメント作品で大正時代が扱われる際、過去の日本の歴史が悪く描かれることは無いとはいわないが、基本的には肯定的あるいは中立的に描かれるものだと認識している。その理由はもちろん作者の主義主張もあるだろうし、商業的にも暗い過去を否定的に描くだけでは面白みに欠ける、なんなら愛国心を利用する作品もあるだろう。しかし本作はその風潮と対峙した、強烈な反戦作品である。そして反戦を訴える作品自体はいくらでもあるが、ミステリー、タイムリープ、そして大正時代の設定を取ることで普通なら関心を持たないユーザーにも本作はその主張を届けることに成功している。

 

これらの主張を踏まえて「桜の樹の下には」についても考察してみる。詳しいことは私も知らないが、一般的な梶井基次郎作品としての解釈は、咲き誇る桜という生の象徴と屍体という死の象徴の対比を描いた作品として見做されている。しかし本作においては異なる解釈ができる。桜は平和の象徴であるのは間違いない。では屍体は何か。桜雲時代、つまりゲーム開始時点では戦争による惨禍の象徴である。そして令和時代、ラストにおいては桜という平和のために貢献してきた過去の無数の人々の存在を表しているのではないか。 

 

もちろん他にも様々なテーマが作品に含まれていることは承知しているし、何ならこの記事の内容に限っても必ずしも正解ではないはずだ。しかし私個人の閉じた世界の中では、本記事の内容こそが製作者の一番の思いであり、それを汲み取ることができた私は幸福である。この記事が同じ思いを感じ取った誰かに届くことを期待する。

 

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Laplacian 白昼夢の青写真から感じ取ったもの

 

Laplacianから発売された白昼夢の青写真から感じ取ったものについて書く。

しばらくエロゲに限らずアドベンチャー形式のゲームをやっていなかったが、久々に手にとった作品がここまで傑作だとは思わなかった。 

シンプルにイラストがよかった、BGMがよかった、この話の展開がよかったという感想を書いてもいいのだが、既に各地で絶賛されているし、何より公式が企画の意図についての問題をプレイヤーに提示しているのだから、これに真正面から答えないのはもったいないので筆を執る。

(本当はただ好きな作品に対して思いをぶつけたいだけかもしれない)

(2020/10/18追記:本記事は童貞会コラムを読む前に書きました。)

以下ネタバレと自己満足文注意

 

 

 

 

さて、今回公式に提示された問題というのは

「人の個性は何によって定義されるのか。 揺らがない個性というものは存在するのか。」である。(https://laplacian.jp/yonagi/about.phpより引用)

そしてその公式解答も既に公開済であり、「その人の行動が他者に与えた影響で、その人の人格、価値が定義される」である。(https://laplacian.jp/yonagi/column_detail.php?id=184より引用)

しかし、私はこの問題の解答はこの1行だけで終わるものではないはずだと思うし、何より作品全体を通してもっと別の角度からの主張が込められていると感じた。

 

私が感じ取った主張は、「物質的な豊かさよりも精神的な豊かさのほうが重要である」、「精神的な豊かさは人とのつながりが得るのが基本だが、創作物からも得ることができるし、そこに差は無い」、「幸福な人間には人に精神的豊かさをもたらす創作物は不要であるし、もちろん創作する側になることもできない」、「個々人が得た精神的豊かさは他者との相互作用で増幅する」これら4つである。以下順に説明する。

まずひとつ目の主張「物質的な豊かさよりも精神的な豊かさのほうが重要である」についてはあえて説明するまでも無いと思うが、case3において星よりも人を対象とした写真のほうがうまく撮れること、case0における(物質的な豊かさの象徴である)科学技術の様々な面での失敗、中層ではなく下層での生活を選ぶ海斗と世凪、および最終的に現実世界を捨て空想の世界で生きることを選択した人々、これらの描写からこの主張は容易に読み取れる。

しかし、この主張が最も強く表れているのはcase1-3の題材とcase0へのつながりではないかと私は考える。

case1-3をプレイしていて最も強く感じたのは個々のシナリオへの感情移入よりも、むしろcase1で小説、case2で演劇、case3で写真、これら創作物・芸術作品が話のサブテーマとして立て続けに選択されていることへの疑問だった。実際、別の題材をサブテーマにすえたシナリオであっても、メインのテーマが同じであればcase0での根幹には大きな影響が出ないはずだ。

ではなぜこのような題材を選んだのか。その答えは、創作物・芸術作品というのは人々に精神的な豊かさを供給するためのものであるからと考える。本来精神的な豊かさというのは必ずしも作品から得るものではない。多くの場合、人との繋がりによって得るのが正統であろう。実際、公式の解答においても海斗と世凪の愛をとりあげている。しかし人とのつながりが希薄な現代人、あるいは現実の異性と上手く関わることができないユーザーが多数(と私は思っている)のエロゲー界隈において、本当に重要なのは創作物から得るものでは無いだろうか。作者はあえて小説の中で小説を描く構造およびcase1-3のサブテーマに創作物・芸術作品を選ぶことで、これらが持つ力-自分一人では精神的豊かさを得られない人を救う力への敬意を表しているのではないだろうかと考える。これは2つ目の主張「精神的な豊かさは人とのつながりが得るのが基本だが、創作物からも得ることができるし、そこに差は無い」につながる。

3つ目の主張「幸福な人間には人に精神的豊かさをもたらす創作物は不要であるし、もちろん創作する側になることもできない」については、これまでの主張を再考することで浮かび上がる。単に科学や物質を否定し芸術や精神を肯定するだけならば、なぜcase0において海斗の母-物質的には貧しいが精神的には豊かな人間の象徴-は悲劇を迎えたのだろうか。作中では幸福な人間が病気になるという設定で解決をしているが、あえてこの部分を自分なりに解釈し直すことで主張との対応を図る。母が空想世界での生活に入る前に死ぬのは、幸福な人間には創作物は不要ということ。また最後に仮想世界のために犠牲になる世凪も、記憶を失うという絶望的な不幸に陥るからこそその役割を果たせた、つまり不幸な人間によってのみ作品-それも傑作が作られるのだということ。

(これはすこし強引な議論かもしれない。母の死は主人公が中層にいくこと、つまり物質的豊かさを求めようとする動機のきっかけとしての役割のほうが大きいかもしれない。)

最後の主張「個々人が得た精神的豊かさは他者との相互作用で増幅する」は単純である。人とのつながりで得た精神的豊かさは元々狭い空間、関係性で生じたものであるから、無理に他者と共有する必要は無いし、共有することはときに嫉妬されるだろう。しかし創作物から得た精神的豊かさはどうだろうか。これは既に我々が知っている通り、同じ趣味を持つ他者と共有することでより豊かさが増すのは紛れもない事実である。case1において同じ小説家の話題から始まった交流、case0の中心設定である世凪による仮想世界の共有、そしてなにより海斗によって語り継がれる世凪の話を多くの人が共有した結果救われるという結末。作者が最も主張したかったのはこの部分ではないかと感じてしまう。

各主張を読み取ったもとで、公式解答をつなげてみる。メインテーマに対する公式の解答は「その人の行動が他者に与えた影響で、その人の人格、価値が定義される」であった。 この解答は間違いないが、さらに踏み込むと次のように受け止められる。他者に影響を与えるために人は行動する。一口に影響を与えるといっても様々なものがあるが、最も上位に位置するのは物質的な影響ではなく精神的な影響を与えること、つまり人を精神的に豊かにさせることである(=主張1)。精神を豊かにさせる/させられる最も基本的な行為、人とのつながりを築くことはなかなか難しいが、創作行為によっても豊かさを与える/受け取ることができる。(=主張2) 加えて創作物によって得られる豊かさは思いを共感、共有することで増大する。(=主張4)

以上が私が(現時点において)白昼夢の青写真で感じ取ったものである。

 

最後にこれまで以上に個人的な考えと思いを述べる。 

まず、私はすべての創作物には作者の思想や主張が含まれているという立場をとる。そして可能ならば鑑賞する側も作品の表層的な理解に留まらずその主張を解釈することが正しいあり方だと思う。しかし、作者の側は必ずしも自身の主張や思想を表現するために制作しているわけではなく、鑑賞する側もそれは同じである。むしろ作者の個性が強すぎる作品のほうが嫌われやすいとまでいえる。難しいことを考えずにただ面白かったり美しかったり幸せになれる作品は存在するし、得てして現代はそういった作品のほうが大衆に注目してもらいやすく、商業的にも成功しやすいだろう。

白昼夢の青写真およびLaplacianはこの風潮に真っ向勝負を仕掛けており、公式HPで企画意図とその答えを読み取るという課題をユーザーに突きつけている。この時点で内容を問わずして魂の作品と呼ばれるに値するのだが、さらにその主張が(自分の解釈としては)創作物、作者、そして創作物を味わう人々への強い思いであった。実際に現実世界での精神的豊かさが得られずに創作物へのある種の逃避を図っている人間として、感動せずにはいられず、ここまで長文を書いてしまった。

もちろん主張や思想を抜きにしても名作であるのは間違いないのだが。

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いかなる意見反論コメントも歓迎します。

個人的に解釈不足なのは記憶や自我とは何かについてで、作中において普通の人にとって記憶は物質的なものとして描かれているが、特殊な能力を持った世凪と海斗にとっては精神的なものに描かれているのかなとか考えている。根拠としては前頭葉を切除することで普通ならば記憶が抹消されるはずが、記憶を精神的なものとして持ち合わせている世凪には物質的干渉が通じなかったところとか。

 

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